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ジャパンタイムズに水崎綾女さんのインタビュー記事が掲載されました。英字新聞なので読みたくても読めないという方もいると思います。拙い翻訳ですが、和訳してみたので参考にしてみて下さい。 誤訳があるかもしれませんが、ご容赦下さい。 ぜひ、原文の方も挑戦してみて下さい。みんなで英語を勉強しましょう! 水崎綾女インタビュー 【女優・水崎綾女が話しておくべき最も痛ましい話は、彼女自身のこと】 グラビアモデルから女優に転身した水崎綾女は、過去十年間に渡って様々な役柄を演じてきた。『進撃の巨人』の女兵士、『ユダ』の男を惑わすホステスなどだが、彼女自身の物語は、彼女がこれまでに演じてきたどの役柄よりも間違いなく劇的で、痛ましいのである。 神戸で生まれ育った彼女がわずが5歳だった1995年1月17日の朝、彼女の部屋が揺れた。それは阪神・淡路大震災の始まりであり、6,500人にも達しようかという死者、4万人もの負傷者が出て、30万人以上の人々が住む家を失ったのであり、水崎綾女の家族もまた家を失った。 「人生で起こった多くの出来事を忘れてしまったけれど、避難所での日々はありありと思い出せるんです」 月曜日に大阪で起こったマグニチュード6.1の地震よりも前に行われたジャパンタイムズのインタビューに、今や29歳となった水崎綾女が応じた。 「私にはまだ叫び声が聞こえるんです。辺り一面の死体や、瓦礫の下敷きになった人々を見ました。その光景は決して忘れることが出来ないんです」 彼女が過ごした避難所では食料が不足したり、彼女も家族も何日も風呂に入らないで過ごした。 「初めは、誰もが仲良く、協力し合おうと約束するんです」と彼女は記憶をたどった。 「だけど時が経つにつれ、ストレスを感じるようになる。大人たちが言い争っているのをたびたび見ました。人々の真実の姿というのは、そのような悲惨な状況に直面した時に現れるのだろうと信じています」 水崎綾女と両親、4人の姉妹は避難所で約12ヶ月を過ごし、仮設住宅に移ってそこで4年間暮らした。 「私たちはとても貧しかったんです。公共料金が払えなくて、電気・ガス・水道が止められることもありました。私は平成の時代に生まれたのに、戦後間もない時代を生きているような感覚だったんです」 彼女が小学6年生の時、両親が離婚した。それ以降、彼女は父親と会うことはなく、母親との関係も壊れた。 「振り返ってみると、あたかもドラマのようでした」と女優になった彼女は言った。 「私と姉妹は最善を尽くして、仲良くやっていくしかなかったんです」 彼女の転機となったのは、2004年、第29回ホリプロタレントスカウトキャラバンのベストグラビア賞を受賞した時だ。それが芸能界への入口となった。そして、雑誌のグラビアに起用されるようになった。 「激しい競争の世界だから、とりあえず1年はガムシャラにやってみようと……」と彼女は言った。 「すると、グラビアモデルや演技の仕事の良さが分かってきたんです。女優になりたいなんて口にすることはありませんでしたが、その変化が嬉しくて……」 2006年にテレビ朝日の『吉祥天女』でドラマデビューを果たした後、アクションドラマの『キューティーハニー THE LIVE』や『特命戦隊ゴーバスターズ』にレギュラー出演を果たした。 近年は、より重大な役柄に起用されており、昨年のカンヌ国際映画祭のコンペ部門に正式出品された河瀬直美監督の『光』では、音声ガイドの制作に悪戦苦闘する美佐子を演じてその演技が広く称賛された。フランスのリビエラにあるリュミエール劇場で上映され、キャストと監督は2千人以上の観衆から10分間にわたってスタンディングオベーションを受けた。 【ハリウッドリポーター】のインタビューで、河瀬直美監督は美佐子という人物をこのように説明している。傲慢で、真面目な性格。オーディションで水崎綾女を見た時、まさに美佐子だと感じたと。伝えられている話だと、気難しい監督の河瀬は、水崎が脚本に書かれていることに気を取られ、集中力に欠けたので、橋から脚本を投げたらしい。 「河瀬監督はとても厳しい人でした」と彼女は認める。 「撮影は静かで真剣でした。監督は撮影期間、休憩中でもキャストが愛想よく会話することは望まなかったし、マネージャーと会うことも禁じたんです。それは常に役になりきり、集中力を失わないためでした。次のレベルに到達する努力を怠るなということなんでしょう」 水崎綾女の最新の出演映画である『洗骨』の撮影現場の雰囲気は全く異なり、冗談が飛び交うリラックスした雰囲気だったようだ。ガレッジセールのゴリとして知られる照屋年之が監督・脚本を担当した本作は、沖縄の離島の珍しい風習である洗骨をテーマにしている。洗骨とは、一度埋葬された祖先の遺体を3年から7年の後に掘り起こし、骨を洗うというものだ。 暗い主題を扱っているにも関わらず、『洗骨』はギクシャクとした家族を軽いコメディタッチで描いたハートフルな作品だ。水崎綾女はメインキャストに名を連ね、母親の洗骨の儀式のために帰郷する美容師の優子を演じる。優子は妊娠9ヶ月であることが判り、周囲を驚かせる。 「撮影のために妊婦に見えるスーツを着たのですが、脱げるのはお風呂に入る時だけでした」と彼女は明かした。 「重くて不快でしたが、沖縄での撮影は素晴らしかったです。開放的な気分になれたし、海を眺めたり出来ましたから。キャストもみんな仲良くなれたし、ゴリさんが笑わせてくれたんです」 実際、初めての土地で役を演じるにあたり、水崎綾女がモチベーションを高めるのに芸人の存在は一役買ったようだ。 「辛い時を経て肉体的に疲れ果ててしまっていたんです」と彼女は語った。 「正しい選択だったのかは分からないし、落ち込んでいたんですね。90パーセントまでこの作品に出演することを決めていたけど、マネージャーがゴリさんの名前を出した時に即答したんです。出るって。以前、彼とはバラエティ番組で共演したことがあって、凄くリラックスさせてくれたんですね。彼と一緒に仕事が出来て、元気が出たんです」 未来を見据えて、日本を世界に広めるために、いつか海外で仕事がしたいと水崎綾女は語った。彼女にはすでにブラジルにたくさんのファンがいる。今年7月にサンパウロを訪れ、アニメの祭典【アニメ フレンズ】に参加し、特命戦隊ゴーバスターズで彼女が演じたアバターのキャラクター、エスケイプについて語る予定だ。ともかく、彼女の目標は人生を楽しむこと。 「23年前、私は阪神・淡路大震災を生き残ったけど、何千人もの人々は不幸に見舞われたんです。あの日、亡くなった人々に哀悼の意を表するために、この地球上で自分の時間を費やすことが大切なんだろうと……」
by marc_1109
| 2018-06-23 15:50
| 女優
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